アルゼンチン通貨危機 ( アルゼンチンつうかきき )とは?

アルゼンチン通貨危機とは、2001年12月にアルゼンチンで表面化した経済危機と外貨流出による通貨危機

政府は1320億ドルの公的債務の支払いを一時的に停止し、固定相場制度が廃止されたため、アルゼンチン・ペソの価値が大幅に下落した。

1997年にタイで始まったアジア通貨危機の発生メカニズムと発生要因が酷似しているのにも関わらず、同様の通貨危機を招いてしまったこと、また、2001年にトルコで通貨危機が起きた際には緊急援助をすぐに決めた米国がアルゼンチンに対しては支援を行わなかったことが特徴的である。

牛肉の輸出によって発展したアルゼンチンは、1930年代にはヨーロッパと並ぶ最も豊かな国の一つであった。しかし、第二次世界大戦以降は政治の混乱が経済の混乱を招き、1989年には年率5000%の超インフレを経験した。1990年代に入ると同国の経済は自由化され、ペソの為替相場は1ペソ1米ドルで固定する政策が取られた。為替変動のリスクがないため、アルゼンチンへの投資が盛んに行われた。この結果、アジア通貨危機が起きた時でもペソはその価値を下げることなく、通貨危機に強いことが証明された。しかし、他国が自国の通貨を大幅に切り下げられたため、輸出を行う際の対ドルに換算した際に価格が高くなってしまい、アルゼンチンは不況に見舞われた。2001年にはマイナス11%の経済成長を記録し、失業率も20%に達した。この結果、国内から外資資本が流出し、インフレや経済の混乱などが連鎖的に発生したことで通貨危機を招いた。

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